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8月1日、2日。本当の予定だと、大学のオープンキャンパスの予定でした。

本当は、ね。

一ヶ月前からホスピスに入院していた京都の祖父が、危篤になったということで、1日の午後、一人で新幹線に乗って京都まで行き、タクシーで病院まで行きました。


祖父と会ったとき
涙が出そうになりました。


「骨と皮だけ」


まさにその言葉がぴったりの状態でした。
十日間、何も口にできないまま、危篤状態に入ってしまったのです。
右の肺は全部つぶれて、左の肺だけで必死に呼吸をしていました。


後の話ですが、従姉妹と叔母がこう話したそうです。
「おじいちゃんは、何も食べてないままマラソンをしてるようなもんなんやなぁ。」

その通りでした。

でも、祖父は走り続けました。

みんなも一緒に走りました。
みんなが駆けつけて、手を握ったり、さすったり、声をかけたりしてはげましました。
24時間、交代しながら祖父のそばにいつづけました。

その日数は3日間

長い長い戦いでした。

普通の人なら、すぐに衰弱して亡くなるものの、祖父は心臓が強いため、逆に苦しみを乗り越えなければなりませんでした。
何度も座薬をいれて、意識は堕ちても本人が楽になるようにしてもらいました。

その前日、あたしは、兄姉と姪と母の実家に帰って一休みし、翌日の朝そこを出ました。
お昼近くになったので、病院の近くにあるコンビニでお昼を買っていきました。

病室に入ると従姉妹がボロボロに泣いていました。
「その時」が間近に迫っていました。

あたしと義姉と兄は祖父に駆け寄り、泣いてさすって声をかけました。
少しして、ドラマのように医師は祖父の死を告げました。

お通夜・葬式はたくさんの人が来て、たくさんの人が涙しました。

祖父は、本当にたくさんの人に愛されていたんだと思います。

お坊さんが、初七日をした後、少しお説教をしてくださいました。
その中で一つ、心に残ったことがあります。



「最後の教え」というものがあります。
その人が最後に「死」をもって、周りの人に、自分自身に、教えてくれるものです。

「死」というものは、誰も何時来るのか分からない。
人は後悔をするものだ。
でも、「死」を迎えるとき、その後悔が少しでも少ないよう
一日一日、一分一秒を大切に生きなさい。

それが故人がくれる「最後の教え」なのです。





おじいちゃん ありがとう

そして さようなら







ps//聴覚が五感の中で最も長く残るそうです。
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このごろは、聞いた曲から詩をつくったり、詩に曲をつけたりがマイブーム。
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