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インハイから帰ってきました!
なんと!
5位
入賞です!!
まじで、最初聞き間違えたかと思いましたよ。
まぁがんばって10位っぽくない?的な話をしてたんで…思いもよらず。
今年のインハイは、苦しいことより楽しいことの方が多くって、来年も来たいなぁと思いました。
来年は、絶対優勝します
なんと!
5位
入賞です!!
まじで、最初聞き間違えたかと思いましたよ。
まぁがんばって10位っぽくない?的な話をしてたんで…思いもよらず。
今年のインハイは、苦しいことより楽しいことの方が多くって、来年も来たいなぁと思いました。
来年は、絶対優勝します
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ついに「ZU」がドリームに
号外風にいうと↑な感じです。
ということで、姉妹サイト(?)で連載中のハリポタ二次小説「ZU」がドリームに変換されました。
夢小説嫌いな人もいるかもしれないけど、やっぱドリームじゃないと魅力半減かなぁっと思って、やっとこさ変換しました。
お疲れ自分
てか明日から全国大会いくんですけど、ぜんぜん宿題とかやってないし、それよかここ1~2週間勉強さえしてません。
センセ、もうあたし再テスト決定ですわ……よろしく。
号外風にいうと↑な感じです。
ということで、姉妹サイト(?)で連載中のハリポタ二次小説「ZU」がドリームに変換されました。
夢小説嫌いな人もいるかもしれないけど、やっぱドリームじゃないと魅力半減かなぁっと思って、やっとこさ変換しました。
お疲れ自分
てか明日から全国大会いくんですけど、ぜんぜん宿題とかやってないし、それよかここ1~2週間勉強さえしてません。
センセ、もうあたし再テスト決定ですわ……よろしく。
嗚呼
君と出会えてよかったよ
闇の中に一筋の光
その先には君の清らかな微笑み
嗚呼 もう
これ以上何もいらないよ
僕は果報者だ
だから ありがとう
大切な君だから
もう 汚したくないんだ
さようなら
odai:ハートの王国
超かっくぃぃ
先ほど、劇団四季の『コーラスライン』観に行ってきました!!
なんてったってダンスがかっこいい!
そして、わざと間違えたりするところが、おもしろかったり・・・。
今日は母親と、メインの歌を歌いあかしたいと思います(*'v`人)☆
one ひとつの夢 胸に抱いて ♪
先ほど、劇団四季の『コーラスライン』観に行ってきました!!
なんてったってダンスがかっこいい!
そして、わざと間違えたりするところが、おもしろかったり・・・。
今日は母親と、メインの歌を歌いあかしたいと思います(*'v`人)☆
one ひとつの夢 胸に抱いて ♪
こちら「sweet-potato」の方では詩オンリーでしたが、ついに、ZU(ハリポタ)の連載を再開しました。
ドリームじゃなく、ただの二次小説になっちゃってますが、ぜひお越しください。
こちらの方は、だいぶ書き直されて、結構ヒロインのキャラが変わってますので、一度読んだ方もぜひお越しください
ココです。
8月1日、2日。本当の予定だと、大学のオープンキャンパスの予定でした。
本当は、ね。
一ヶ月前からホスピスに入院していた京都の祖父が、危篤になったということで、1日の午後、一人で新幹線に乗って京都まで行き、タクシーで病院まで行きました。
祖父と会ったとき
涙が出そうになりました。
「骨と皮だけ」
まさにその言葉がぴったりの状態でした。
十日間、何も口にできないまま、危篤状態に入ってしまったのです。
右の肺は全部つぶれて、左の肺だけで必死に呼吸をしていました。
後の話ですが、従姉妹と叔母がこう話したそうです。
「おじいちゃんは、何も食べてないままマラソンをしてるようなもんなんやなぁ。」
その通りでした。
でも、祖父は走り続けました。
みんなも一緒に走りました。
みんなが駆けつけて、手を握ったり、さすったり、声をかけたりしてはげましました。
24時間、交代しながら祖父のそばにいつづけました。
その日数は3日間
長い長い戦いでした。
普通の人なら、すぐに衰弱して亡くなるものの、祖父は心臓が強いため、逆に苦しみを乗り越えなければなりませんでした。
何度も座薬をいれて、意識は堕ちても本人が楽になるようにしてもらいました。
その前日、あたしは、兄姉と姪と母の実家に帰って一休みし、翌日の朝そこを出ました。
お昼近くになったので、病院の近くにあるコンビニでお昼を買っていきました。
病室に入ると従姉妹がボロボロに泣いていました。
「その時」が間近に迫っていました。
あたしと義姉と兄は祖父に駆け寄り、泣いてさすって声をかけました。
少しして、ドラマのように医師は祖父の死を告げました。
お通夜・葬式はたくさんの人が来て、たくさんの人が涙しました。
祖父は、本当にたくさんの人に愛されていたんだと思います。
お坊さんが、初七日をした後、少しお説教をしてくださいました。
その中で一つ、心に残ったことがあります。
「最後の教え」というものがあります。
その人が最後に「死」をもって、周りの人に、自分自身に、教えてくれるものです。
「死」というものは、誰も何時来るのか分からない。
人は後悔をするものだ。
でも、「死」を迎えるとき、その後悔が少しでも少ないよう
一日一日、一分一秒を大切に生きなさい。
それが故人がくれる「最後の教え」なのです。
おじいちゃん ありがとう
そして さようなら
ps//聴覚が五感の中で最も長く残るそうです。
本当は、ね。
一ヶ月前からホスピスに入院していた京都の祖父が、危篤になったということで、1日の午後、一人で新幹線に乗って京都まで行き、タクシーで病院まで行きました。
祖父と会ったとき
涙が出そうになりました。
「骨と皮だけ」
まさにその言葉がぴったりの状態でした。
十日間、何も口にできないまま、危篤状態に入ってしまったのです。
右の肺は全部つぶれて、左の肺だけで必死に呼吸をしていました。
後の話ですが、従姉妹と叔母がこう話したそうです。
「おじいちゃんは、何も食べてないままマラソンをしてるようなもんなんやなぁ。」
その通りでした。
でも、祖父は走り続けました。
みんなも一緒に走りました。
みんなが駆けつけて、手を握ったり、さすったり、声をかけたりしてはげましました。
24時間、交代しながら祖父のそばにいつづけました。
その日数は3日間
長い長い戦いでした。
普通の人なら、すぐに衰弱して亡くなるものの、祖父は心臓が強いため、逆に苦しみを乗り越えなければなりませんでした。
何度も座薬をいれて、意識は堕ちても本人が楽になるようにしてもらいました。
その前日、あたしは、兄姉と姪と母の実家に帰って一休みし、翌日の朝そこを出ました。
お昼近くになったので、病院の近くにあるコンビニでお昼を買っていきました。
病室に入ると従姉妹がボロボロに泣いていました。
「その時」が間近に迫っていました。
あたしと義姉と兄は祖父に駆け寄り、泣いてさすって声をかけました。
少しして、ドラマのように医師は祖父の死を告げました。
お通夜・葬式はたくさんの人が来て、たくさんの人が涙しました。
祖父は、本当にたくさんの人に愛されていたんだと思います。
お坊さんが、初七日をした後、少しお説教をしてくださいました。
その中で一つ、心に残ったことがあります。
「最後の教え」というものがあります。
その人が最後に「死」をもって、周りの人に、自分自身に、教えてくれるものです。
「死」というものは、誰も何時来るのか分からない。
人は後悔をするものだ。
でも、「死」を迎えるとき、その後悔が少しでも少ないよう
一日一日、一分一秒を大切に生きなさい。
それが故人がくれる「最後の教え」なのです。
おじいちゃん ありがとう
そして さようなら
ps//聴覚が五感の中で最も長く残るそうです。
今、クラスで合唱やってるんです。9月の文化祭でやる合唱コンクールに向けて。
で、あたし合唱委員なんで、(指揮者が部活のコンクールでいないので)仕切ってるわけなんですが・・・・。
その日にやったこと。治すべきこと。どうすれば治るか、どういえば伝わるか。指導した後どう変わるか。その次の課題。・・・なんてのを考えてたら、眠れないんです!!
考えないように考えないようにしてるんですが、ベッドに横たわると、合唱の曲が流れ始めて「あぁここやらなきゃなぁ」なんて考え始めるんですよ!!
音楽を極めるのはいいけど、このままじゃ明日の授業寝ちゃうよ・・・。
でも、結局今日は寝れなさそうなので・・・
パソコンやるべし!
で、あたし合唱委員なんで、(指揮者が部活のコンクールでいないので)仕切ってるわけなんですが・・・・。
その日にやったこと。治すべきこと。どうすれば治るか、どういえば伝わるか。指導した後どう変わるか。その次の課題。・・・なんてのを考えてたら、眠れないんです!!
考えないように考えないようにしてるんですが、ベッドに横たわると、合唱の曲が流れ始めて「あぁここやらなきゃなぁ」なんて考え始めるんですよ!!
音楽を極めるのはいいけど、このままじゃ明日の授業寝ちゃうよ・・・。
でも、結局今日は寝れなさそうなので・・・
パソコンやるべし!